2016年 06月 12日
第18話 過去の遠賀郡のバス路線網の歴史(第3回:水巻町・巨大ジャンクション)
本数の多さに驚かれた皆様も多かったのではないでしょうか?
しかし、本日公開する時刻表はそれをはるかに超えるスケールでお届けします。
先に言っておきます。
ここは郡部の時刻表です。いまから35年前。
そして、なんとこのバス停には現在、西鉄の路線バスは1本も停まりません。
それでは
これはどこかというと水巻町の「頃末」停留所。
あまりの本数の多さにこれを調べて入力するのに1時間を要してしまいましたwww
それではご覧いただきましょう。
時刻表の公開に際しての注意事項です。
1.無断転載は絶対にやめてください。発覚した場合は公開を中止します。転載等を発見された場合はご連絡をお願いします。
2.運行会社への問い合わせはご遠慮ください。
3.一部誤記、記載ミスがあることもあります。その際はご容赦ください。
4.この時刻表は現在の運行ダイヤではありません。また廃止された系統も多数ありますのでご注意ください。
5.感想、情報はコメントまたはTwitterでお願いします。
6.この時刻表の公開は当時の貴重な情報をバス好きの皆様と共有し、一緒に懐かしむことを目的としています。
以上、ルールとマナーをお守り頂きお楽しみをお願いします。
すごい本数です。ほんとに。
折尾方面から各地に向かうバスのジャンクションだった頃末。黒崎からの中間方面行きも入りますので本数は折尾以上になります。
昭和50年頃に国道3号バイパスが開通したあと、3号線本線から水巻市街地に向かう旧国道へのアクセスが出来なくなるなどこのあたりの道路はものすごく複雑になりました。
(現在は交差点改良が行われもっと複雑ですがw)
それに伴って路線バスの走行ルートもかなり複雑になっていました。
中鶴・遠賀→折尾方面は旧3号線経由。逆向きはバイパス経由でした。
この付近の当時のバス停の配置です。
下りは3号線バイパス側本線に西鉄の芦屋・赤間・中鶴方面が停車。
中間方面へ降りるランプスロープ部に西鉄の大膳橋方面が停車。
距離的にはすぐ近接しており停留所間は階段で連絡していました。
市営バスの頃末停留所は北側に大きく離れた丸越家具の北側の側道。
西鉄停留所近接には頃末小学校前という別のバス停が近接していました。
(こちらは現存しています)
市営バス上りの頃末停留所は水巻芦屋線(旧道)に入った先、丸越家具の西側。
西鉄は全線「頃 末 丸の東」交差点の東側で市営バスの頃末小学校前と近接。
というわけのわからん配置になっていました。
これはわかりにくすぎるんで、そのうち解説図を作ってみたいと思います。
メインは海老津方面と芦屋行き!!!
芦屋行きの本数がとてつもないことになっています。しかも全便堤防経由。
朝の時間帯に海老津方面行きが7時50・53・55分と短時間に集中しています。おそらく遠賀高校への通学ダイヤだと思われます。千代丸口行きが1本入っています。この時代には遠賀高校へは乗り入れていなかったようです。
直方方面へは中間から堤防をかっ飛ばしていた速達系統の60番と68.69番です。
この68.69番の路線は近年まで運行されていたものと大きく異なっていました。
68番は折尾~直方間運行で遠賀川・朝日座・植木経由です。
現在とは鞍手町中心部のルートが異なります。
この朝日座停留所。おそらく中山交番前交差点を曲がった狭い道路にあったと思われます。
本町停留所は旧ユニードの南側と思われます。
68番の停留所は
中山 - 本町 - 朝日座 - 鞍手局
69番が(鞍手)町立病院経由です。
69番町立病院経由は
中山 - 町立病院 - 購買前 - 鞍手局
しかし、朝の時間帯には朝日座を経由するものもあったようです。
また、69番も新入本村経由ではなく、植木踏切を通っていたようです。
基本的には全線通しダイヤをがメインで、意外にも鞍手~直方の区間便や遠賀川止めは少数です。朝の時間帯には古門始発の直方行きが2本、鞍手車庫始発の遠賀川方面は遠賀川行き2本、折尾行きが2本。この鞍手からの区間便だけはなぜか約10分ヘッドの高頻度です。日中は概ね1時間ヘッドで、68番はこのあとの時代のほうが本数が多くなっていることがわかります。
60番はこの数年後には1日1往復のみに削減されています。鞍手駅の開業の影響をもろ被りしたのでしょう。
土手の上にあった停留所は垣生・下大隈・曲の手・今村・中の江・平池・中島橋。
思った以上に細かく停車していたようですね。
今村の停留所は土管で作られた変わった形の待合所がありました。
下大隈停留所は封鎖されていますがバスカットが残存しています。
中間線は思った以上に少ない印象です。
大膳橋行きはすべて黒崎始発。黒崎発の中間行きは2本です。赤文字で表示しています。
まあ、この直前までは小倉や戸畑発の55番だか、そういう系統が大膳橋まであったとか。
まあ、これだけ停車していたところのバスがまさか全廃されるなんて思いもしませんよね。
それだけ郊外のモータリゼーションは進展しているということだと思います。